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日本でのプロジェクトファイナンスとは

日本でPFが本格的に取り組まれるようになったのは、一九九〇年代後半からです。国内でもリスクの高いプロジェクトはありましたが、そうした案件(たとえば、一九七〇年代の東京ディズニーランドに関わるファイナンスなど)は通常の企業金融(法人に貸す)として取り扱われることが多かったといえましょう。二〇〇〇年代に入って、IPP(電力会社以外による発電所建設など)やFI(公的な建物の建設にあたり、民間の資金を使う)が注目されるようになり、初めて本格的な取り組みが、政府系および民間金融機関などによってもなされるようになりました。

金融機関が、永年続いた担保金融(不動産担保が主体)から脱して、プロジェクトや企業そのもののリスクの判定を基に融資を行えるようになるためには、PFは避けて通れない道であるといえましょう。一般的なPFのプロセスは以下の通りです。二点、補足します。まず、オペレーターの存在ですが、これはしばしばGCやプラント建設業者が兼務します。たとえば、化学肥料プラントを例にとると、肥料メーカーが自らプラント(工場)を建設し、完工後、それを運営するというようなケースがあります。GCは、特定部門のノウハウをフルに活かし、オペレーターとしても貢献できることを売り物にして、受注しようとすることが多いのです。

次に金融機関(フィナンシエー)ですが、これには民間金融機関のみならず公的機関(世界銀行、国際金融公社(IFC)、アジア開発銀行など)が参画することが多々あります。制度金融と呼ばれる公的な金融の仕組みを使うとPF全体の借入コストが安くなるメリットがあるからなのです。以上の説明で、PFにおいては、通常の借り手対貸し手の関係がより複雑になっていることがおわかりになるでしょう。これは一つのプロジェクトは、一つの会社よりも複雑な事業を行っている訳ではないのに、事業そのものを細かく分割して、事業に潜むリスクを明らかにしようとするためです。有り体にいえば、貸し手である銀行が自分の負うリスクを極力減らそうとしているのです。このくらい細かく融資に伴うリスクを分析し、分散しようとしているのですから、金融のノウハウとしてはより高度なものです。

日本の銀行がこうしたPFにもっと目を向ければ、通常の融資に関してもリスクをより適切に判断できるはずなのですが。さらにいえば、PFのノウハウをマイクロファイナンスに活かすこともできるかもしれません。借り手を一種のプロジェクト主体として捉え、彼らの置かれた環境の変化によって返済可能性も払える金利もどんどん変わってゆくと考えるのです。言うは易し、行うは難しかもしれませんが、こうした見方が零細企業や低所得個人に対してまったくなされてこなかった点は思い出す価値がありそうです。ここのテーマであるマイクロファイナンスに関しては、幸か不幸か、今ある日本の金融機関に自ら新たなローン市場を開拓しようとする意欲はあまりないようですから、新たなノウハウの確立を含めて、銀行外の新たな勢力による市場構築が最も適切なように思います。

本来のプロジェクトファイナンス

PFとも称されるこのローンの形態は、大きく儲けようとする点でマイクロファイナンスやソーシャルレンディングと異なります。しかし、リスクを進んで取ろうとする姿勢においては共通するところがあります。端的にいえば、「大きくリスクを取って、大きく儲けよう」とするものですが、リスクを上手に見立てると充分なリターン(報酬)がある点で通常の企業向けローンよりも金融機関にとって魅力的です。このプロジェクトファイナンスをここでなぜ紹介するかというと、日本ではまだPFについて「低リスク・高リターン」という大変な誤解があり、それが本来のリスクの取り方を見誤らせていると思うからです。リスクを過小評価して、リターンを過大評価するという誤りです。

その結果、公的金融機関などが過大なリスクを負ってカネを貸し続け、さらには与信管理(融資後の借り手の状況の把握や対策実施など)が経験・人材不足により、非常にまずく行われています。民間の金融機関も公的なところが貸すとそれに続けとばかり、貸し込みます。原発や電力会社に関わる融資も広い意味でこの範瞬に入るといってもよいでしょう。こうしたリスクとリターンの見誤りが翻って、本来は日本でも育つべき、ソーシャルレンディングやマイクロファイナンスの市場発展を妨げていると考えます。この二つの小口公益金融は、ローリスク・ローリターン、あるいはミディアムリスク・ミディアムリターンです。ハイリスク・ローリターンと思われているのは、市場規模が小さいことと貸し手がマイクロファイナンスにまだ懐疑的であることが原因です。

統計学では「大数の法則」というものがありますが、サンプル数が少ない場合、市場の規模が小さいと統計的にはリスクとリターンを正しく判定するのは難しくなります。貸せるか、貸せないか、この点をサンプル数豊富に厳しく吟味していると貸し手のノウハウも増してきます。その進展がマイクロファイナンスやソーシャルレンディングを一層普及させます。回りくどくなりましたが、本来はもっとマイクロファイナンスを推進してよいはずの金融機関がリスク判定が下手であることを、マイクロファイナンスとはある意味、対極にあるPFを例に挙げて論じようと思うのです。以下、少し長くなりますがお付き合いいただければ幸いです。

プロジェクトファイナンス(以下PFと略)は端的にいえば、プロジェクトを運営する主体のリスク(いわゆる企業の信用リスク:コーポレートリスク)ではなく、①プロジェクトそのもののリスクを与信者が取り、②その返済原資は原則としてプロジェクトから発生するキャッシュフローのみということです。現実にはプロジェクト・リスクを軽減するために、プロジェクト運営主体やプロジェクト発注者(スポンサー)に一部あるいは全部債務保証をさせたり、キャッシュフローのみならずほかの返済手段を講じます。しかし、純粋なPFとはやはりキャッシュフローを元にした与信であり、信用リスクの判定にあたってはプロジェクトの妥当性が唯一のものとなります。従って、運営主体である企業リスクは参考にしかなりません。

マーチャント・バンカーとは

中世の金貸しが銀行の一つのあり方だとすれば、ほかにどのようなロール・モデルが銀行にあるのでしょうか。先ぼどの中原氏の論文をもう一度見てみます。銀行業の発達は、富の源泉を、上地所有以外、財・サービスの供給に求めることも促した。つまり、銀行業の発達は近代市民社会を築く礎にもなったともいえる。西欧の歴史にみた銀行業発達の次の契機は、膨大な国家の債務管理と産業革命であった。十七~十八世紀の相次ぐ戦乱によって、いずれの国も財政赤字が慢性化していた。財政赤字は、伝統的に土地の売却、没収、債務不履行の三つを取り混ぜた野蛮な方法で補填されていたが、国家の資金調達・償還註画を組織的に管理することが求められていたほか、戦費の調達・送金を迅速に行う必要もあった。

また、十八~十九世紀の産業革命によって力をつけた市民層に対し、増大する財・サービスの取引に見合った金融サービスが提供されればならなかった。国家債務の管理を行い、預金の受け入れや為替手形の引き受け、銀行口座間での債権の振替を行う近代的な銀行の必要性が高まったのである。こうした状況下、個人銀行家ではなく、非個人的かつ効率的な銀行が、十七世紀初頭アムステルダム振替銀行を嚆矢として各地で設立された。また、国家債務の管理によって業容を拡大したマーチャント・バンカー達は、株式会社組織形態の採用と支店制度の発展によって業容を拡大し、大規模な鉄道等インフラや公益事業向けの新資本獲得にも携わった。

ここで「マーチャント・バンカー」という言葉が出てきました。これは日本語訳するのが難しい用語ですが、自らリスクを負って金融と事業の両方を行う人のことを指します。英国ではこのマーチャント・バンカーは通常の銀行員であるコマーシャル・バンカーよりも尊敬されてきました。その伝統を真似た米国ではインベストメント・バンカーといいますが、インベストメント・バンカーたちが大暴走したことは、リーマンショックで私たちの記憶にも新しいですね。マーチャント・バンカーは決して、やらずぶったくりの詐欺師だけの存在ではありません。

そうした人も昔から存在していましたが、もっとまともな社会的「公正」や「公益」にも配慮して、企業と個人と国家の三方が発展する方法を考えていた人たちもいました。日露戦争の戦費をまかなったシフ商会という英国の会社もマーチャント・バンカーです。その一つの動機に反露感情があります。当時、ロシアではポグロム(ユダヤ人に対する集団的暴力行為)が広く行われていたといわれます。これをやめさせるためにユダヤ系である自分たち(シフ家の人々およびその使用人)が関わろうとしたようです。これなどはロシアにとっては災難だったかもしれませんが、日本にとっては大変な「公益」でした。

マーチャント・バンカーたちはリスクのある投資案件を自ら審査し、必要なおカネを集め、投資や融資を行いましたが、その際に使われた手法の一つがプロジェクトファイナンスと呼ばれるものです。通常の融資が借り手の信用全体に及ぶのに対して、プロジェクトファイナンスは一定のプロジェクトのリスクだけに集中して貸せるか貸せないかを判断するのです。従って、プロジェクトファイナンスを断られた借り手はまた別のプロジェクトについて同じ貸し手に審査してもらうこともできますし、信用が充分でないとされる借り手も特定のプロジェクトの成算があるならば、プロジェクトファイナンスという形で借りることができるのです。

ユダヤ商人を介在させた融資

一五五〇年にあるフランス人の批評家は、「イタリア人は手ぶらで身の回り品以外には何も持たずに定期市へ旅する。彼らの身に付けているものといえば、わずかばかりの信用、ペン、インクと紙、そしてどこでお金がもっとも不足しているかについての自分達の持つ情報にしたがって、ある国から他国へと為替を操り、処分し転用する熟達した技術だけであった」と記している。日本銀行ホームページより抜粋。初出は全国銀行協会発行「金融」二〇〇四年一月号への寄稿)遠隔地間の移動(旅行)を現金を持って行うことの危険から免れる方法として使われた「為替」がルネッサンス期の銀行を発展させたという考え方です。

しかし、ヨーロッパ中世を終わらせたといわれるルネッサンス期に勃興したイタリアの「小」銀行を発展させたのは、単なる為替だけだったとは思えません。そこにはおカネを預金として預かり、融資を行う「銀行」の本源的な姿もあったはずです。イスラム金融と違って、近代から現代のヨーロッパでは「利子」を取っておカネを貸すことがごく当たり前のように行われていました。中世はやや違うという論もあると思いますが、原則、利子を取ることを禁じられていた(と信じられている)キリスト教の信者がカネを貸すことができなければ、彼らはイタリア、スペイン、ドイツなどの都市に在住していたユダヤ教徒を介在させて、融資を行うことが可能でした。

自分たちは建前上、カネを貸せなくても、ユダヤ教徒の商人にカネを預け、彼らに融資を代替させることで投資家として自分たちも潤うという構図です。こうしたユダヤ商人を介在させた融資がどの程度の規模のものであったか実際の数字はわかりません。おそらく相当な金額にのぼったものと思われます。この場合の利子のレベルが曲者です。年率四〇%といった高利であったという人もいます。仮に四割の年利を元本に組み込んでゆくと、一の元本は一年後に一・四、二年後に一・九六、三年後に二・七四、四年後に三・八四、そして五年後には五・三八となって五倍以上にもなってしまいます。これでは金利が払えず逃亡するか、罪を得て獄につながれる人がたくさん出たであろうとの想像が可能です。

一方、四割の利子でもリスクを勘案すると低すぎるという議論もできます。一〇人に貸して三人が返済しないとすれば、残りの七人から回収するのに四三%ずつ利介を取らないと引き合わないという考元方もできます。いずれにせよ、四割か五割かはたまた一○割かどうかは別として、ヨーロッパ中世というのは相当な高利の世界、高利貸しが実質的に銀行機能を担っていたと考えることができそうです。この「高利貸し」という点は重要なポイントです。私が、銀行は高利貸しであることに抵抗がないと述べている一つの理由は、こうした近代的銀行の成りたちにあります。高利貸しとして出発したので、高利貸しに先祖返りするのが容易だということです。

「近代的」「西欧的」銀行の氏素性

二〇〇五年以来、マイクロファイナンス市場は、通常の商業銀行によるローン市場よりも急成長を遂げてきました。そして、マイクロファイナンス機関は銀行からの借入に加えて、プライベート・エクイティ(投資ファンドのこと)からも巨額の資金を集めることができるようになりました。「二〇〇七年以降、プライペート・エクイティだけでも二百億ルピー(約三百六十億円)もマイクロファイナンス業界に資金を提供し、二〇〇九年には一億七千八百万ドル(約百四十二億円)」が流し込まれたとシン氏は言います。「貧しい借り手に、つりあわないほどの金額を貸し込み、米国のサブプライムローン市場に似た複合的な市場を作り上げた」ことに、マイクロファイナンス機関は少なからず関与しているようです。

つまり、「マイクロファイナンス機関は伝統的な高利貸しと何の違いもない」ことを図らずも自ら証明してしまったのです。シン氏のコメントは以下の言葉で結ばれています。「マイクロファイナンスの大手は、業界のワイルド・ウェスト(何でもありの野蛮な時代)は終わったと認識すべきだ」と。ここではマイクロファイナンスから少し離れて、銀行が長年、真面目に取り組んでこなかった別の金融三つについて論じたいと思います。それはイスラム金融、ベンチャーキャピタルとプロジェクトファイナンスです。前二つについてはすでに述べましたので、最後の一つ、一時流行りかけましたがバブルの崩壊で長らく足踏み状態を続けた金融手法、プロジェクトファイナンスについて次節で取り上げます。

銀行がなぜ、こうした金融と無縁でいたのか、あるいは積極的に関わろうとしなかったのかを解くにあたり、私たちが「銀行」として親しんでいる金融仲介者の成り立ちについて、振り返ってみることが大切だと思います。近代の銀行の成り立ちの場所と時期については、イタリアのルネッサンス(十五世紀頃)と学校で習いますが、金融の専門家といわれる人たちもそれに同意しているようです。以下、日本銀行の審議委員を長く務められた中原員氏(元東亜燃料会長)の論です。銀行業の起源は明確ではない。メソポタミヤでは早くも紀元前三千年に、寺院や土地所有者による貸付が行われていた。

神殿は規則的な供え物と所領を有し、それを貸し付けて利殖を行った。爾後、銀行業の本格的な発展は、Bankという言葉が中世イタリアの市場で使われた商人の取引台である”banco”に由来するように、中世の西欧交易商人による絹や香辛料貿易と、それに対する信用供与技術が結び付いてからであった。遠隔地との財の取引・決済を可能とする為替手形の開発は、銀行業と財の生産こ父易を両輪とした中世の西欧経済を発達させることに役立った。ヨーロッパ各地の物産が交換される国際定期市は、交易商人兼銀行家が特に活躍する場であり、たとえばリヨンでは、銀行の店舗は十六世紀のはじめ一六九店にものぼったという。

マイクロファイナンス業界の調査

アンドラ・プラデシュ州政府は直ちに条例を発布し、マイクロファイナンス機関の監督に乗り出しました。過去二〇年にわたってマイクロファイナンスを促進してきた州政府の豹変は業界を驚かせましたが、その趣旨は自己規制を強める内容だといわれています。しかし、ロビイスト(利害関係者の代理人)たちは「新しい条例は過剰規制につながるもので、マイクロファイナンスの業界を窒息させる」として州政府に抗議しました。しかし、カバルジット・シン氏は本条例の趣旨は「過剰規制を行おうとするのではなく、マイクロファイナンス業界をある程度、社会のコントロール下に置こうとする」ことであり、「貸金業者にほかの業界で行われているのと同じ最低限の基準に従わせる」ことだと反論しています。

「つまり、マイクロファイナンス機関の存在意義は、貧しい人々に奉仕し、彼らの資金調達を容易にすること」であると。インドの七七%の人口が一日当たり二十ルピー(一ルピー一・八円換算で、約三十六円)で暮らしている現状、市場原理に業界を委ね、投資家が暴利をむさぼることに警鐘を鳴らしています。インド中央銀行前総裁であるY・V・レディ氏が指摘しているようですが、「マイクロファイナンス機関は銀行から多額の資金を借りており、大きなレバレッジがかかっている」ことを自ら意識し、常に自戒の気持ちを忘れてはならないということでもあります。

ところで大量自殺事件を受けてインド中銀は、マイクロファイナンス業界の調査を開始しました。しかし、「二〇一〇年一一月にマイクロファイナンスの上限金利を設定したバングラデシュとは異なり、インドでは同様の上限金利を設定することはないだろう」とシン氏は言います。代わりに「スプレッドの上限」(マイクロファイナンス機関の調達金利と貸出金利の差を統制)を設けることを提唱しています。そのレベルは六から八%とのことですので、現在のインドのマイクロファイナンス機関はそれ以上のスプレッドを享受しているということでしょう。

アンドラ・プラデシュ州に話を戻しますと、マイクロファイナンスの浸透はインド一のようです。インド全体で三千億ルピー(約五千四百億円)といわれる市場規模の約三〇%がこの州で提供されています。同州には、問題源の一つであったSKSマイクロファイナンスのほかにBasixも本拠を置いています。最高金利は年六〇%を超えるものもあるといわれ、インフレ率を差し引いた実質金利も三〇%を上回るケースが多々あるようです。州政府の新条例の検討が発表されるや否や「六%も金利が下がった」ことは、それまでいかにマイクロファイナンス機関やほかの金融機関が高い金利を取っていたかの例証になります。

インドにおけるマイクロファイナンスヘの批判

国際食糧政策調査機構(IFPRI)という機関の調査によれば、シェアの借り手の八五%は世界の最貧困層に属していると報告しています。これを信じるとすれば、シェアは最も資金を必要としている人々のために存在しているということになりますが、七六%のシェアの借り手が貧困から脱出し、収入と支出を上手に管理できるようになったとも自賛しています。シェアの活動状況ですが、二〇一〇年七月には、本拠のあるアンドラ・プラデシュ州(後述)を含むインドの一九州で一一一七の支店を持ち、三万二五八五村で、六二万グループ弱、三一五万人超のメンバーに貸していると報告しています。

約千三十一億五千万ルピー(約千八百六十億円。一ルピーは約一・八円)の累積融資と約二百二十八億七千万ルピー(約四百十二億円)の融資残高、六五〇〇人弱のスタッフを擁する、としています。一人当たりの貸出額は、七千二百ルピー(約一万三千円)とごく小額です。三年前の二〇〇七年の数字は、それぞれ五州、三一二支店、二一万グループ、一〇○万人強、約二百二十億ルピー(累積融資額)、約四十億ルピー(融資残)、二三〇〇人強(スタッフ数)ですから、驚異的な成長を遂げていることがわかります。返済率は九九%を超えていると報告していますので、グラミーン銀行(約九八%といわれます)と同程度の高いレベルにあることがわかります。

さすがITの国インドと思わせるのは、彼らのコンピューターシステムヘの言及です。中央制御されたサーバーで日々、個人別の貸出額や返済額も管理していると豪語しています(以上、二〇一一年六月二一日現在のシェア・マイクロフイン社のHPを参照)。グラミーン銀行においてはユヌス博士の功績と彼に対する非難が目立ちますが(事実は別として)、シェアにおいては特定の個人が突出しているということはないようです。シェアという組織の長や役員には政府や民間の有力団体出身者も配し、チームとして対応している様子がうかがえます。となるとよいことずくめのようですが、シェアを含むインドのマイクロファイナンス機関への批判もまた存在します。

カナダに本拠を置くグローバル・リサーチ社によれば、マイクロファイナンスが成長を続けているインド亜大陸(インド、パキスタン、バングラデシュを含む)で大きな問題が発生しているといいます。以下、カバルジット・シン氏による論評を交えて論じることにします。二〇一〇年末に発覚したインド、アンドラ・プラデシュ州(南東部に位置し、人口は八五〇〇万人とインドで五番目。最大の街であり州都はハイデラバード。人口密度は平方キロ当たり約三〇八人)における六〇人超の自殺の直接的な原因はマイクロファイナンス機関から借りた資金が返済できないことだったといわれています。

自殺者六〇人のうち一七名がインドを代表するマイクロファイナンス会社、SKSからカネを借りていたようです。「強引な取り立てによる」自殺と考えられています。このSKSは二〇一〇年八月にIPO(株式公開)を行っており二二億八千万ドル(一ドル八十円換算で、約三百四億円)もの資金を集めています。IPO直後の一〇月にSKSのCEO(最高経営責任者)であるスレッシュ・グルマニが突然、辞任に追い込まれていますが、「より大きな問題の存在」を想像させます。

インドでの実践事例

グラミーン銀行発祥のバングラデシュと同じインド亜大陸に位置する大国、インドでもマイクロファイナンスは発展し続けています。最大の規模をもつマイクロファイナンスの機関は、シェア・マイクロフィン社(以下、シェアと略)だといわれますが、彼らのホームページをもとに概要を見ていきたいと思います。一九八九年にまずNPOとして発足しましたが、銀行でない金融会社(預金を受け入れることは不可)として最初のものです。後にグラミーン銀行のように営利を目的とし、投資ファンドや銀行などの外部から調達した資金を「連帯債務グループ」(少人数が互いに連帯して保証する集団)へ無担保で貸し付けるビジネスモデルを採用し、今日に至っています。

シェアの存在意義は貧困層に資金を融通することで彼らが貧困から脱却する手伝いをすること、持続可能な金融機関として共同体に奉仕することです。ミッションとしては、「財務的な支援を貧困層、特に女性に対して提供し、彼らが生産的に収入を得て、貧困をなくすことを可能にする」ことだとしています。具体的な目標として、恵まれない人たちに自活の手段を与えることや単純労働の訓練を行うことで彼らに収入の道を作ることなどを挙げています。グラミーンと同じく、零細の労働者に資金を貸すために返済を怠らない文化を醸成することも大切だとシェアは考えています。

シェア自身は組織が官僚化しないように効率性と透明性を高め、投資家には高いリターンを、シェアが国(インド)の中で重要な貸し手として成長することを心がけているようです。その結果として外部の諸団体から高い評価、格付けを得ているといいます(評価の詳細は省略)。営利目的としていることについて、資金の出し手(ファンドや銀行など)と受け手である「連帯債務グループ」(零細な農民が主体)をつなぐのに効果的だと理由を挙げています。グループを作るにあたり、人数を五人とし、同年齢、同地域出身で互いが知り合いであることを義務付けていますが、親戚がグループ内にいてはなりません。借り手は一週間のトレーニングを受け、その間に自分で署名ができるように文字を覚えます。八つのグループ(つまり四〇人)が一単位として行動します。

返済期間は五〇週で、毎週、借りたおカネの一部を返済しなければなりません。担保は不要ですが、互いが監視して返済を怠らないようにします。グループがメンバー一人一人の返済に責任を負います。また目的外の用途でおカネが使われないように、現場のクレジット・オフィサー(融資審査人)が目を光らせています。五人のメンバーが借りたおカネでどんな仕事を始めるか合意したのを見届けて、シェアは値付け、販売方法、品質管理など必要な訓練を彼らに対して行います。メンバーは毎週集まって、その週の返済金額などを決めます。フィールド・スタッフ(支援員)は借り手のミーティングで助言をし、借り手の子どもの教育、栄養、衛生状態を改善する訓練を行います。